院長
- 名前
- 山崎 幸治
- ふりがな
- やまさき こうじ
- 誕生日
- 昭和58年4月13日
- 国家資格
- 柔道整復師
- 出身
- 大阪府吹田市
- 学歴
- 京都産業大学経営学部 東洋医療専門学校柔道整復学科
- 趣味 今ハマっている事
- バーベキュー・キャンプ 天気が良い日は家から50分かけて歩いています
- 好きな場所
- 26歳の時から沖縄に約9年間住んでいました。たくさんの経験をさせていただきとても大切な場所です。
とにかく身体を動かすことが好きな子供でした
昭和58年4月13日山﨑家の長男として生まれました。生まれも育ちも大阪ですが両親は大分県出身ですので言葉はコテコテの大阪弁ではないようです。大分の豊後水道の荒波のもまれた魚を食べる機会が多かったのでおいしい魚が大好きです。
小さい頃から体を動かす事が好きで、3歳から12歳まで水泳、小学校では部活でバスケットボール、地域のチームでは野球をしていました。バスケットも野球も6年生の時に両方キャプテンをさせていただいていました。他に習字や公文式などなかなか多忙な小学校生活だったように感じます。小学校の時は特に大きなケガもなく、好きなだけ運動をしていたという感じです。
中学生の時に上がった時バスケットをするか野球をするか迷いましたがバスケットボール部に入りました。タイミングが良かったのか当時では珍しく1年生の夏から3年生の試合に出させいただくようになりました。
3年生に従兄弟も同じ部活にいたのですが、試合には出ていなかったので少し気まずい思いもありながらバスケットをしていたように感じます。
ただ当時の監督が部の保護者会で1年生ですが3年生の中でもどんどん使っていきますのでよろしくお願いいたしますと言ってくれていたのをあとで聞きました。
腰の痛みに苦しんだ中学時代
中学校の2年生の時に腰がおかしいなと思う事がよくありました。
そうもしている間にどんどん痛くなり、自分ではどうしようもなくなりました。痛すぎる。。。整形外科に行き、レントゲンを撮り、『骨には異常がないね、筋肉の問題だから湿布出します。痛かったら痛み止めも飲んでください』との診断でした。正直全く納得できませんでした。この痛みが湿布・痛み止めで治ると思えなかったのです。
改善はみられず、15分も座っていられない、松葉杖をつく時もありました。もう一度細かい検査をするためにMRI検査をすると「腰椎分離症」という診断でした。お医者さんに部活をするためには手術をした方が良いと言われました。注射も怖いのに手術なんか考えられませんでした。そこから整骨・整体院行脚の始まりです。鍼灸院等も含め5件以上は行ったでしょうか。
そんな時学校の先生の紹介である整骨院を紹介をしていただきました。
そこで出会った先生のおかげで今の自分があります。
本当に痛みが辛く、なかなかしつこい痛みだったので、施術中あきらめず、順番を途中最後にして、院を閉めた後も僕のために時間を取っていただき遅くまで施術をしていただきました。
施術が終わるとそのまま食事に連れにいっていただいたり等いろんな面でサポートをしていただきました。受付の方も親切で施術以外での安心感というものもかなりありました。
痛みを持ちながら、ケアをしながら3年生ではキャプテンもさせていただき、現役生活を無事終える事ができました。
この時から、この先生みたいに治療家になりたいと思いました。
親に反対された治療家の道
高校に進学し、自分の腰の状況を考え部活でのバスケットボールは断念しましたが、整骨院の先生の繋がりで週一回のクラブチームでバスケットボールをしました。部活では断念しましたが、バスケットはできる環境があった事が救いでした。高校卒業後すぐに僕としては整骨院の先生になるための専門学校に進学したかったのですが、親が昔気質でまずは大学に行ってからでもいいんじゃないか。当時僕は大学に行く意味がわからず、ただただ一直線に専門学校に行きたい気持ちがありました。話し合う中で親に激しい口調で言った事もありました。両親からしたら、当時は整骨院はあまり認知されていなく、大学に行っておけば夢が変わっても何とかなると思っていたと思います。夢が変わらなければ、また専門学校に行けばいい。
結果話し合う中で、大学進学を選びました。正直、僕の中では専門学校行く前提での大学進学でしたので、最初はあまり楽しめる感じではなかったです。
ただ、その間に少しでも知識を増やそうと健康学・心理学・経営学を学びました。通学の2時間かかっていたのですがなるべく時間を大事に使おうと本を読んだりしました。ただしんどかったですが。
ただ今思うと大学生活の4年はいろんな人に出会い・いろんな経験ができ、本当に意味のあるものになったと思います。大学に行かしていただいた両親に感謝です。
大学4年生の途中から、先ほど治療家になりたいと思ったきっかけをくれた先生のところで、助手として働かせていただく事になりました。大学卒業後夢変わらず専門学校へ進学しました。専門学校時代は朝整骨院、昼間学校、夕方から整骨院、夜中は週3回程飲食店でバイトしたり、なかなかハードでしたが、充実した生活をさせていただいていました。
こういう3年間を過ごし、柔道整復師国家資格を取得しました
僕は沖縄が大好きで、いつか老後でもいいから沖縄に住みたいという夢がありました。慢性沖縄中毒症ですと自分で言っていました(笑)
知り合いの先生の紹介で、沖縄の整骨院で働いてみるか?とのお話をいただきました。
迷いましたが、迷っているって事は行きたいって事や!と思い2011年の7月沖縄での生活が始まりました。
大好きな沖縄で治療
大阪での経験を活かして人を治して、喜んでもらうぞ!いう気持ちでやっていましたが、揉んだりのマッサージ、ストレッチ、ローラーベッドに寝てもらうという流れ作業。
改善というよりはただ気持ちいいだけの事しかできていませんでした。
もちろん、それで喜んでくれている方がいたのは事実です。
ただ改善しているのか?
また痛くなったって言ってるけど。
もう少し揉んでくれへん?
自分がやってる事は正しいのか?
と思うようになってきました。奥さんが体調を崩してもその場しのぎの事しかできない自分、どんどんマイナスな事を考え、この業界自体を嫌になってきている自分がいました。そうこうしている内に僕も体がきつく、痛くなる事が多くなりました。・・・大阪に帰ろうかな。
本当に治せる技術との出会い
そんな時、治せる人・今の治療技術に出会い一気に治療の世界が変わりました。今まででは考えられなかった症状が改善し、今までに感じた事がない「ありがとう」をもらう事ができました。
奥さんの体がきつい時も、ちゃんとした事ができるようになりました。僕の心身ともに楽になっていきました。自分の家族にちゃんととした事ができるという事が僕自身かなりの自信になりました。仕事、遊びのメリハリがつきバランスよくできるようになったのもこの頃からだと思います。
治療技術や接遇、この業界は勉強を続けるしかありません。これからもみなさんに選んでいただくために自分を磨いていきたいと思います。
今は地元吹田のために少しでも恩返しがしたいと思っております。沖縄での経験をいかし、今後とも努力していきますのでよろしくお願いいたします。たくさんの『先生良くなってきてる、来てよかった、ありがとう』の言葉をいただくために最大限の努力をさせていただきます。
長年の痛みや不調に苦しむ方へ
現代社会は昔に比べ、いろんなストレスの多い社会になっています。仕事や時間に追われ休めていない、環境の変化、対人関係等様々な負荷が体にかかっています。
そういう世の中なのでいろんな症状に苦しんでいる方がいます。病院に行っても原因がわからない、どこに行っていいかもわからない。その中で僕たちを選んできてくださっている方々、これから縁があって僕の所へ選んで来てくださる方にとって僕は一番身近な専門家、健康へ導くアドバイザーでいます。僕たちの施術でも症状が長く続く方がいるかもしれません。ただ僕たちは、あきらめません。今できる全ての術を使って健康へのサポートをさせていただきます。
人の健康に携わる仕事をさせていただき想う事があります。それは体が健康じゃなければ、人生楽しくないという事です。あなたの周りには家族、友達、恋人、心からあなたの健康で楽しい人生を望んでいると思います。体が痛い時、辛い時、自分の事以上に気にして心配してくれる人がいますよね?僕にも何かあった時に心配してくれる家族、友達がいます。逆にそういう心配をかけないという事が大切だと思います。
正直、病気やケガをしないと気づけない、自分の生活を見直せないという事が人間だと思います。こんな事を書きながらもちろん僕もまだまだそうです。ただ、そこで気づき行動に移せる事が大事だと思います。
体の事で悩んでいる方をサポートしたい、体は変わるという事を感じてもらいたい。
自分が痛みで苦しんだ分、痛みで苦しむ方を少しでも助け、できなくなった事をできるようにレールに乗ってもらい、ゴールに向かう事が僕たちの仕事への想いです。